2011年 05月 28日
あれから二ヶ月半 |
5月という時期をどのように過ごしたか。自然は芽吹き、葉を茂らせ、緑いっぱいの景色を飾って過ごす。地震が起こっても、津波がきても、放射能が飛び散っても、自然は心配などすることもなく、立ち止まったりもせず、季節がやってくるのを自らの営みで迎えています。
『何が起ころうとも影響されない信念』。植物の力というのはそのようなことなのだと、私は理解し、植物を尊敬しています。きっと、多くの人がこの春、桜が咲いた瞬間にそう感じたのではないでしょうか。影響されないこと。とてもむずかしいことですが、大事なことです。自分で選び、自分で決める。自分がやってみたいようにやる。情報だけに頼り惑わされているようでは、植物に笑われてしまいます。
5月は春分と夏至の中間です。ケルト文化では光と太陽の神Belenosベルニュスと三位一体の自然の女神の結婚を祝うベルティンという季節祭がおこなわれ一年の再出発をするのだそう。
この時期に考えたいろいろなことが、夏の太陽の光をたっぷり浴びて、秋の実りとなり、種をまた宿らせる。6月に向かうときはいつも、5月は何を考えて過ごしたか振り返ります。次のための素晴らしい種を生むために、5月はとっても重要な季節です。
先日、久しぶりに森の中を歩きました。
避難所暮らしから少し息抜きをしましょうと、家族で温泉へ出かけた帰りです。薬草好きの主人の父のうんちくがとても心地よく、みんなで植物についてのおしゃべりをしながら、森の散歩。母の庭はいまの時期、たくさんの花やハーブがにぎわっていたことでしょう。津波で庭をも失ったことを、悲しみとしてようやく口に出すことができました。私も、玄関先にあった大きな大きなオリーブの木はどこにいってしまったの? やっと言うことができて。あれも、これも… 植物たちは根こそぎなくなりました。
あれから2ヶ月半。被災地はまだまだ、何も変わっていません。いまだにがれきも壊れた車もそのままの地域がたくさんあります。ひどい悪臭の中、疲れはてた心と身体をぐっとこらえて解体の準備で泥まみれの荷物を洗いながらせっせと運んで。これから先のことなど考えている余裕がまだなくて。テレビを見ると、やっぱりいつか少しずつ忘れられていきそうだねといつも話しています。
私も夫もホームシックぎみ。寄り添いながら、植物のようにじっとその時期を待つことにしています。もう少しの辛抱ね、心の中で何度も祈りながら森の緑の力に身をまかせました。
皆さんもどうか、植物のように。苦しいのは津波の被災地だけではありません。仙台市内もたいへんです。私はその両方を感じているだけに、被害の大小を「比べる」のはちがうよと思っています。今はあせらずに、光の見える方向を見ているだけでも十分と思います。
『何が起ころうとも影響されない信念』。植物の力というのはそのようなことなのだと、私は理解し、植物を尊敬しています。きっと、多くの人がこの春、桜が咲いた瞬間にそう感じたのではないでしょうか。影響されないこと。とてもむずかしいことですが、大事なことです。自分で選び、自分で決める。自分がやってみたいようにやる。情報だけに頼り惑わされているようでは、植物に笑われてしまいます。
5月は春分と夏至の中間です。ケルト文化では光と太陽の神Belenosベルニュスと三位一体の自然の女神の結婚を祝うベルティンという季節祭がおこなわれ一年の再出発をするのだそう。
この時期に考えたいろいろなことが、夏の太陽の光をたっぷり浴びて、秋の実りとなり、種をまた宿らせる。6月に向かうときはいつも、5月は何を考えて過ごしたか振り返ります。次のための素晴らしい種を生むために、5月はとっても重要な季節です。
先日、久しぶりに森の中を歩きました。
避難所暮らしから少し息抜きをしましょうと、家族で温泉へ出かけた帰りです。薬草好きの主人の父のうんちくがとても心地よく、みんなで植物についてのおしゃべりをしながら、森の散歩。母の庭はいまの時期、たくさんの花やハーブがにぎわっていたことでしょう。津波で庭をも失ったことを、悲しみとしてようやく口に出すことができました。私も、玄関先にあった大きな大きなオリーブの木はどこにいってしまったの? やっと言うことができて。あれも、これも… 植物たちは根こそぎなくなりました。
あれから2ヶ月半。被災地はまだまだ、何も変わっていません。いまだにがれきも壊れた車もそのままの地域がたくさんあります。ひどい悪臭の中、疲れはてた心と身体をぐっとこらえて解体の準備で泥まみれの荷物を洗いながらせっせと運んで。これから先のことなど考えている余裕がまだなくて。テレビを見ると、やっぱりいつか少しずつ忘れられていきそうだねといつも話しています。
私も夫もホームシックぎみ。寄り添いながら、植物のようにじっとその時期を待つことにしています。もう少しの辛抱ね、心の中で何度も祈りながら森の緑の力に身をまかせました。
皆さんもどうか、植物のように。苦しいのは津波の被災地だけではありません。仙台市内もたいへんです。私はその両方を感じているだけに、被害の大小を「比べる」のはちがうよと思っています。今はあせらずに、光の見える方向を見ているだけでも十分と思います。
by noyau-f
| 2011-05-28 13:51
| 東日本大震災の日から