2008年 11月 17日
山形のおやつ |
土曜日は山形へ行って参りました。何度か訪ねてお世話になっているお寺で、2時間ほど住職さんとお話しをしました。何について会話しましても、「なるほど」と思うことばかり。お茶をいただきながら世間話をしているはずなのに、教えられています。私は無宗教ですが、いろいろな考え方や教えを知ることで自分に必要なことを心に受けとめて、それを信仰しています。
大晦日の夜は家族揃って、ごちそうを囲むのが岩佐家の恒例となっています。先に神棚へお膳を供え、父から順に嫁の私が最後で全員が手を合わせてから、お膳を食卓に戻し、いただきます。この小さな儀式のことを住職さんにお話ししたら「ぜひ、大事に続けてください。儀式には、我慢するとか、きちんとするという教えがあります。例えば、お父さんが食卓に座るまでは食べずに待つというのも、子どもに我慢を教える、これも儀式ですね」といわれ、また、なるほど。子どもの頃、父が帰ってくるまで夕ご飯はみんなで待っていました。それがあたりまえとなり、今は真夜中でも夫が帰るまでご飯を待ってしまいます。私は、食べるのを我慢するのではなく、大切な人を思いやる気持ちを教わったのだと気づきました。ありがとうございます、住職さん。
山形の帰り道はいつも寒河江のチェリーランドで一息つきます。必ず購入するのが、手づくりの素朴なお味とカチカチの固さがいい「とちの実かりんと」と、もっちりぶにぶにの食感が幸せな「みそっ娘餅.あんなし」。田舎のおやつに目がないんです。おすすめです。
大晦日の夜は家族揃って、ごちそうを囲むのが岩佐家の恒例となっています。先に神棚へお膳を供え、父から順に嫁の私が最後で全員が手を合わせてから、お膳を食卓に戻し、いただきます。この小さな儀式のことを住職さんにお話ししたら「ぜひ、大事に続けてください。儀式には、我慢するとか、きちんとするという教えがあります。例えば、お父さんが食卓に座るまでは食べずに待つというのも、子どもに我慢を教える、これも儀式ですね」といわれ、また、なるほど。子どもの頃、父が帰ってくるまで夕ご飯はみんなで待っていました。それがあたりまえとなり、今は真夜中でも夫が帰るまでご飯を待ってしまいます。私は、食べるのを我慢するのではなく、大切な人を思いやる気持ちを教わったのだと気づきました。ありがとうございます、住職さん。
山形の帰り道はいつも寒河江のチェリーランドで一息つきます。必ず購入するのが、手づくりの素朴なお味とカチカチの固さがいい「とちの実かりんと」と、もっちりぶにぶにの食感が幸せな「みそっ娘餅.あんなし」。田舎のおやつに目がないんです。おすすめです。
by noyau-f
| 2008-11-17 00:46
| 旅